『10年、ひと昔』と言いますが、もう10年なのかまだ10年なのか複雑な感情がこみあげてきます。
まずは震災により尊い命をなくされた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして被災されたすべての方々に心からお見舞いを申し上げます。
色々あって去年9月からブログを初めて、ほぼ半年のタイミングでこの日を迎えるのは不思議な感じが致します!
あとでよめの校閲でプライベート書き過ぎと消されるかもしれませんが、釣りも絡めて記事にしたいと思います!
毎年3月11日の週初めからテレビやラジオで東日本大震災関係のニュースや特番を企画されています。あの日を忘れない!災害に備える!は地震大国の日本、海に囲まれた日本には永遠に忘れる事なく伝え続けていく事と思います。
今年のNHKは10年目の節目もあって『あの日、何をしていましたか?』の問があります。
10年前は福井県にいました!
カテゴリーの「このブログについて」に『全国転勤ありのサラリーマンのカツオと申します。(石川県→福井県→名古屋→仙台→大阪 そろそろ地元に帰りたいな(^_^;))』と自己紹介しています。先日の清掃活動で名刺交換になって、名刺交換したらあれこれ職業などの話になりますよね!だんなは建設業の技術職をしています。
10年前のその日は出社日で会社内で仕事をしていました。震源から遠く離れた福井県でもかなり揺れて、机の下にもぐったのを覚えています。
揺れが収まってから『震源地はどこ?』でニュースを見て家族に連絡をとって、震源地近くの知人にメールを送りました。津波の映像に驚愕し、原発事故の映像を見て東日本や日本はどうなるのかと思いました。
当然ですが知人となかなか連絡がとれず、一番最後に連絡をくれた知人が1ヶ月後のメールで安堵した事を覚えています。
釣り人にとっても海際は大切な生活や憩いの場です。津波で被害にあわれた方々の事を思い、しばらく海に近づく事が出来ませんでした。
土木・建設業はどうしても地震と深い関係があります。
大きな地震がおきれば、建築や構造物が倒壊したり半壊したりで建て直したり復旧が必要になります。因果な商売と思った時期もありましたが、人が生きていくために必要な『衣食住』のひとつです。
困っている方がいたらボランティア含めて自分が出来ること、思っていることを実行するのがよいと思います。偉そうな事を言ってますが、だんなは東日本の時はボランティアに行けてません。気持ちはありましたが自分の事で手一杯でした。
東日本大震災から1年を迎えようとしていた2月に転機が訪れます。
福井→名古屋に転勤です!
引越しの準備や仕事の引き継ぎetcで大変です!ちょうど車検🚙のタイミングで『名古屋なら車が無くても生活できるんじゃないか?』で車を手放す事にしました(T_T)
この時に手放していなかったら、今現在の電車などの公共交通機関を利用しての釣行はまず無かったと思います🚃🚌🐟🎣
ようやく名古屋に無事に引越しが終わり、新しい職場に通い出して1週間目、、、
翌週から1ヶ月間、仙台に応援に行きます!
ブラック企業ではありません(^_^;)異動したなりは新しい職場で色々と覚えないといけないと思います。その当時に仙台にいた方が、だんなに仙台の復興の仕事の応援依頼をされたようです。1ヶ月間で名古屋に帰して貰う約束を貰いボストンバック1つ持って新幹線で仙台に移動です。
3月とはいえ仙台は寒かったです。
そしてほぼ1年目とはいえ、震度4位の余震は日常茶飯事!2日に1度位は体感できる規模の地震があります。
地震や津波の爪痕を自分の目でみて、この状態で海に行く選択肢は絶対に無いと思いました。その時に今も仲良くさせて頂いている釣り友さんと一緒に仕事をさせて頂いたんですが、お互いに釣りする事を知るのに数年かかる事になっています。
釣りを趣味にする人間が、釣りと言う単語を発したらあかんような気になっていました。
それなりに順調に仕事が進み、震災1年目の3月11日。区役所に献花に行っています。1年目のこの日に仙台の地にいる、哀悼のためと言えばシンプルですがやはり複雑な気持ちです。この地で震災にあったわけでもなく、応援にきて直ぐに帰る外様が何をしているのかと自問自答です。仕事を無事に終えて、約束通りに名古屋に戻りました!
名古屋に戻って最初にびっくりしたこと!1ヶ月の間に暖かい名古屋でじゃがいもの芽がすくすく伸びてえらい事になっていました。じゃがいも自身の栄養で水が無くても成長できる、生きる力ですよね!
名古屋には2年間いて色々応援話がありましたが、中国の大連に1ヶ月間応援に行くだけで済みました。大連の仕事は貴重な経験になっています!
震災から3年目。
名古屋から仙台に異動です!
復興の仕事が本格化してきたから今度は応援でなく異動です!
2年前の応援の時の仕事が評価されたかわかりませんが、外様のような後ろめたさ無く復興に携わる覚悟でした!よめも喜んで一緒についてきてくれました!感謝しかないです!
当然ですが3年目!1年目の応援の時と全く違います。太平洋側の福島、宮城、岩手の仕事をメインに色々な仕事を経験しました。あわせて地域共生活動もやらせて頂き、各地の小学校等で授業をしたり清掃活動にも参加しました。
東北の方は忍耐強いと言われますが、心根が優しく素敵な方ばかりで逆に励まされた事を鮮明に覚えています。
よめが勤め先の釣りする方を紹介してくれました!釣り人の輪は凄いですよね〜沢山の釣り友さんと仙台湾のマガレイ、ナメタガレイ釣り、金華山のアイナメ&タラジギング、岩手でのサクラマスジギングと色々と経験できたのも財産です!東北の釣り友さん達は今も元気で釣りを楽しんでいます😃
仙台で復興の仕事をしている間の2016年4月14日に熊本地震発生。
だんなは熊本地震を仙台で揺れを感じる事はなかったです。この時に凄く思ったのはだんなだけかもしれないですが自分が体感していない地震は距離に比例して関心度が低くなるのかと。ニュースで被害の大きさや会社の方が熊本に視察に行った感想を聞いても、自分の目で見て肌で感じないと怖さに感じづらいなと思いました。
2017年、東北の仕事の目処がたち、熊本地震対応で大阪へ
仙台から大阪に異動です!
よめのホームの関西です!よめがホームに戻れると喜びます!仙台の釣り友さん達にも送別会をして頂きました。東北に色々心残りがありますが、いつか元気な顔を見せに行きたいと思っています!!!東北を離れても、気持ちは東北ですね!
だんな、大阪暮らしも初めて!仕事や生活に慣れるまでどうしても釣りは遠ざかります。地元の石川に帰省した時に釣りするくらいでなかなか大阪で釣りに行けない日々!それでモヤモヤしていたわけでは無いんですが…
信号のない交差点をだんな歩いていて、一旦停止した車が前を見ずに発進して車にはねられて利き腕手首を骨折しました。リハビリ含めてほぼ1年ほど釣り出来ない期間が延長!
無いものねだりですよね。釣り出来ないと、釣りに行きたくなります笑 そしてコロナ禍が重なります!
リハビリ担当のドクターから『だんなさん、リハビリ兼ねて趣味の釣りしたらどうですか?病院にリハビリで通うだけより効果あると思いますよ』と提案が!関西の釣りを色々と調べて2020年5月からタコ釣りからリスタートしています🐙
マスクをして3密を避けれるように遊漁船さんも色々と工夫をされています。
よめの勧めもあって、2020年9月からこのブログ、11月から食べログやインスタを初めています。
おかげさまで新しい繋がりができて、生活のよいスパイスになっています!色々な繋がりの方達に日々感謝しています!!!
マンションのバルコニーの桜は綺麗に咲いています!
そして2021年3月11日の今日!
防災・減災のために改めて以下の事を家族と話あってみてはどうでしょうか。
- 行動範囲内の安全性・避難経路の確認(ハザードマップの確認、倒れやすいものが無いかの確認)
- 備蓄の確認(食料、飲料水、防災用品をまとめた非常持ち出し袋、ソーラーバッテリー等)
- 連絡手段の確認(家族とどうやって連絡をとるか、どこに集まるか)
写真は震災1年目に仙台駅で購入した今も使っているonagawa factory さんのキーホルダーです。
onagawa factoryさんHP引用
■onagawa factoryの成り立ち
~魚が獲れないなら作ってしまえ!~
宮城県牡鹿郡の女川町は、豊富な魚種が数多く水揚げされる“漁業のまち”です。しかし、東日本大震災の被害による津波の被害は甚大で、町内の7割の建物が流され、漁港や水産加工施設も壊滅状態となりました。なんとか復興の手助けができないかと思い、震災後1か月後に「小さな復興プロジェクト」を立ち上げました。
このプロジェクトは、魚がとれるようになるまでのあいだの地元の方の収入の確保と、避難生活のストレスの軽減などを目的とし、木でできたお魚のキーホルダー『onagawa fish』の作製をするというものです。onagawa fishの特徴は、ずっと触っていたくなるようなすべすべ感。これを出す為には、木片を削って魚の形にして、ヤスリで磨き、塗装をして…と何段階もの工程があり、職人技とも言える技術が必要とされます。もともとは水産加工の工場などで働いていた地元の主婦を中心にした工房の作り手が、家具職人の厳しくも丁寧な指導で取得した技術により、一つずつ愛情をこめて製作しています。
今もonagawa factory、onagawa fishは継続しています。
onagawa factoryさんHP引用
■onagawa fishに対する思い
魚の形をしたキーホルダーにしよう。ストラップにはお魚のマークと「.onagawa(ドットオナガワ)」という文字を刻印。「お魚がどっととれる女川に戻りますように」という想いを込めています。製品名は『onagawa fish』としました。
onagawa fishをキーホルダーにしたのは、「いつも手元に置いて思い出してほしい」と考えたからです。被災地のことを、ではありません。「自分も災害に見舞われるかもしれない」ということをです。自分たちが経験したことを教訓にしてもらい、少しでも未来の災害における悲劇を減らしたい。onagawa fishには、そんな想いが込められています。
だんな所有になって9年目!ずっと使い続けて10年目を無事迎えるかと思っていた先月にonagawaの文字が入った皮が切れて外れてしまいました!無くなるところでしたが切れてポケットの中に残っていてくれました。
上の写真はそれっぽく元に戻しています!黒くなって木が若干痩せていますがonagawa fishの特徴の『ずっと触っていたくなるようなすべすべ感』は残っています!
この記事を機会に新しいonagawa fishに代替わりにしようかと思い注文しました。
オリジナル彫刻をお願いしたのでしばらく時間必要かもですが、後日届いたらここに写真を追加致します。
よめが箸置きも注文してくれていました!箸置きは夫婦仲良くのためです!!!
今使っているキーホルダーonagawa fishに長い間お疲れ様でした!とこれからの10年今の気持ちを決して忘れないように!
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